島コラム vol.6:US1からP1へ
東京都立広尾病院 内視鏡センター長 小山茂
島しょで救急患者が発生し、内地への搬送が必要と判断されれば緊急航空機搬送の手続きとなります。多くの場合航空機や救急車内で対応できるよう添乗医師が必要となります。
初めて添乗医師として向かったのは、小笠原諸島の父島でした。初期研修医の立場で当直についていたある夜、上席の神経科の先生から「もしよろしければ、乗っていただきたいのですが」と非常に丁重な依頼の連絡をいただき、ときめきを隠しつつ神妙にお引き受けしました。
当時小笠原には自衛隊の水陸両用艇US1が出動していました。夜明けと同時に着水して上陸、申し送りや患者さんの搬入後に帰路となり、羽田空港に着陸の後に救急車で広尾病院到着というフライトプランでした。夜半過ぎに救急車で病院を出発し、厚木基地で少々待機ののちに乗り込んで離陸です。片道2時間半。行きは興奮の、帰りは緊張の連続でした。離着水の瞬間や、スロープを伝って上陸する感触は他にはない独特のものでした。
それがいつしか硫黄島経由の哨戒機による搬送に替わりました。他の地域で不具合の事例があり、より安全性の高い手段に変更されたとのことでした。最近救命センター当直の際にその哨戒機P1に添乗して搬送する機会がありました。真夜中に硫黄島に着陸し、あらかじめ現地の医務官の先生がヘリコプターで運んでいただき合流して搬入の上、厚木基地に着陸して広尾に戻りました。
数年前、墓参団に同行して硫黄島を訪れた際に、自衛隊基地のトップに懇親会でお目にかかる機会がありました。「救急患者搬送は業務の柱であり、これからも安全第一で取り組んで参ります」と、非常に心強いごあいさつを頂戴しました。
昨年父島に内視鏡検査でお邪魔した際、遠い昔に上陸したスロープを海岸越しにしみじみながめました。搬送経路も私の経験年数も変わりましたが、患者さんに対峙する緊張感は少しも色褪せた気がしないのは、まだまだということなのでしょうか。
〔東京都立広尾病院広報委員会発行 広尾病院だより 第181号(令和2年9月発行)収載〕
*当記事は東京都立広尾病院より掲載許可を賜り、転載しております。
*Profile/小山茂(こやましげる):1986年自治医科大学医学部卒業後、