島コラム vol.3:CTビフォーアフター
東京都立広尾病院 内視鏡センター長 小山茂
もう20年以上前、地下鉄サリン事件の翌月から、派遣診療でとある島に3ヶ月赴任した時のことでした。仕事で来島していた男性が頭痛と嘔吐で夜中に受診し、もう一人の医師が診察したところ、血圧が高い他は特に問題なく点滴と処方で帰宅となりました。翌日夕方にも似た症状でまた受診、意識状態や神経学的に問題なく経過観察の方針で帰りました。しかし2日後の午前中また吐いたとのことで、病室で点滴対応されました。
クモ膜下出血では?との懸念を伝え、ルンバール(腰椎穿刺)やってもいいのでは?とまで提案しましたが、診療所に来た時にはいつも具合よくなっており、様子を見ることになりました。翌朝、精密検査目的の入院を考慮しているとの相談を聞いていたその矢先、同様の状態で再診。何だったら手伝おうか、と声かけたところ、病室で対処し血性髄液を確認していました。緊急ヘリコプター搬送の要請となりました。
広尾病院の脳神経外科に電話し、ICUベッドを確保いただきました。ファクス送信以降も容体は安定しており、要請者は半信半疑の様子でした。ヘリコプターに同乗し運んでいただいたのは脳神経外科のK先生でした。その先生から夕方、右中大脳動脈瘤由来との報告をいただきました。連絡を聞いた要請者は看護師と神妙に振り返っていました。緊急手術で無事郷里に戻られたとのことでした。
それから5年後、同じ島に派遣で赴いた折、やはり夜に頭痛と嘔吐で受診した女性を診察しました。その3年前よりCTが診療所に配備されていました。1スライス毎にボタンを押してスキャンする機種でしたが、クモ膜下出血の画像所見をしかと確認しました。夜中の要請に加え、日中に2件の緊急搬送が広尾と墨東病院に収容され、共にICUは満床でした。結果その時は他県の病院に運ばれ、緊急手術になりました。元気に戻られた姿を後日拝見しました。
島からの画像電送に対応するたび、この2症例を思い出します。
〔東京都立広尾病院広報委員会発行 広尾病院だより 第178号(令和元年12月発行)収載〕
*当記事は東京都立広尾病院より掲載許可を賜り、転載しております。
*Profile/小山茂(こやましげる):1986年自治医科大学医学部卒業後、