島コラム vol.7:安居島の消えた目抜き通り【島嶼聞き書き旅1】

島旅フォトライター 井月保仁(いづやん)

島を旅し、風景を見て、そこに暮らす人の話を聞く——そんな中で、見えていたはずの景色が語りによってそれまでと違った意味を帯びてくる瞬間がある。この連載(島嶼聞き書き旅)では、日本各地の島々を巡りながら、出会った人々の言葉から気付いた「島人が見ている風景」を綴っていく。単なる観光でも、取材でもない、”聞いて書く旅”の記録。なんでもない日常のなかに宿る歴史や記憶に触れ、語られなければ消えてしまうかもしれない島の断片を、ひとりの「島旅好き」として言葉と写真でつないでいく。

 


 

島を歩いていると、不意にタイムスリップしたような気分になることある。通り過ぎるだけの風景が、誰かの一言をきっかけに過去の姿を現す。そんな瞬間が好きで、僕は今日も島を歩いている。島に住む人なら当たり前のことでも、一介の旅人にはとても新鮮に感じられる話、それが聞けるのが何より嬉しい。

愛媛県松山市の北西端に位置する安居島を訪れたのは、梅雨が早く明けた7月の上旬だった。JR予讃線の伊予北条駅から歩いて10分で、北条港だ。ずらりと並ぶ漁船が、北条は漁業の町であることを物語っていた。その中に、綺麗な船体で目立つ安居島への定期船「あいほく2」が泊まっていた。

 

 

島には以前は宿があったが、コロナ禍の影響だろうか、数年前になくなってしまったそうだ。ツテがあれば集会所に泊めてもらえるらしいが、基本的には日帰りするしかない。気がつくと、安居島は少し渡島のハードルが高い島になっていた。水曜日と第1土曜日以外は、安居島に渡るには16時の便しかなく、その日のうちに北条港に戻ることができないからだ。

平日の水曜日、10時50分に船に乗り、船内で往復のチケットを買う。船員さんからは「島には休むところがないし、暑いから気をつけて」と声をかけてもらった。周りを見回しても、どうやら客は自分ひとりだけのよう。傍目から見ても島を知らない観光客そのもので、心配してくれたのだろう。

定刻11時に北条港を出航した船は、凪の海を渡っていく。左手に忽那諸島の主島・中島が横たわっているのを眺めながら30分ほどで安居島に到着。桟橋では年配の男性が待っていた。「風があったらよかったのになあ、今日は暑いけん」と声をかけてくれた。引退して島に戻って暮らしているのだそう。静かでいいところだ、と笑顔で付け加えたのがなんだか嬉しかった。そんないいところを、これから歩かせてもらうのだ。

 

 

安居島は東西1.5km、南北0.2kmの横長で小さい島。集落は船が着く港の周りにひとつのみ。かつては瀬戸内を行き来する船が潮待ち・風待ちをする港として栄え、また海運業も盛んだった。今は本当に静かな漁村の趣だ。港から海が青く澄んで、沖の小安居島、さらに向こうには愛媛本土が見えた。桟橋からは、海岸沿いに立派な石積とその上の防波堤、その奥に民家が立ち並ぶ様子が分かる。

 

 

早速歩き始めると、1.3mほどの高さの防波堤のすぐ後ろに、集落のメインストリートが続いていた。なぜか新し目の家が多い。堤防は視線を遮るほど高くはなく、安居島の青い海が常に見えていて気持ちがいい。集会所や島の鎮守・姫坂神社、大師堂、天満神社などを見て回り、写真に収める。参道や集会所の周りは草が刈られていて、今も人の手が入っているのが感じられた。小一時間も歩くと大体のスポットを見て終わるほど、島は小さい。

 

 

それにしても暑い。午後の早い時間、集落が南に開けているので日陰がほとんどない。行きの船で船員さんが心配した通りだった。神社は木陰に包まれていたが、蚊の巣窟だった。結局、風が通る路地に戻るしかなかった。集落の西、港の端がほんの少し木陰になっていたので、そこでしばし休憩した。背後には「安居島漁港災害復旧竣工記念碑」が立っている。この港を改修した時に建てられたものだろう。

 

 

一休みしてから再度集落を歩く。道は基本的に海岸の目の前、防波堤のすぐ内側を通っているが、一箇所だけ海岸前の建物の裏を通る道があった。崩れかけてはいるが、木造の立派な家屋やかつての旅館であろう建物が並んでる路地だった。瀬戸内の島でよく見かける海間際に家屋が並び、一本内側に入った道が本来のメインストリートという街並みが、ここだけ残っているように見えた。

 

 

島ではほとんど誰にも会わなかったので、あの不思議な路地や旅館跡などについて、帰りの定期船を準備していた船員さんに聞いてみた。

「あの旅館は20年くらい前には廃業してたね。路地に入る手前の建物は明治の遊郭跡。あの道はかつての島のメインストリートで、平成の巨大台風で港が壊滅したあと堤防を嵩上げした時に、半分無くなったんだ」

 

 

海岸の堤防に、古い石積と新しいコンクリのものがあるのはそのためだとか。桟橋に立つ船員さんは右の砂浜を指しながら「あの砂浜は昔からあって、堤防を新しくする前は桟橋のあるこの辺りも砂浜だった。旅館跡のところと同じように、海間際に家が並んでいてその内側がメインストリートだったんだよ」

さっき休憩した港の端にあった「安居島漁港災害復旧竣工記念碑」は、その工事が完了した記念に建てられたものだったのだ。どうりで、桟橋を出てすぐのところには新しい家が多かったのかと納得した。

 

 

あの旅館跡の道に違和感を感じたのは、やはりかつての島の姿を今に残す場所だったからだ。島に遊郭ができるほど栄えたことはなんとなく知っていたが、災害で集落と港が姿を変えていたことは、島人の話を聞いて初めて知った。30分もすれば歩き終わってしまう島の集落にも、島人だけが覚えている歴史があると分かり、暑さを忘れるほど興奮を覚えた。

帰ってから国土地理院の地理院地図サイトで昔の航空写真を調べると、果たして1974年の写真には港全体に砂浜が広がっていて、今は消えたメインストリートが健在だった様子が写っていた。船員さんは「親は島生まれ島育ち。自分も島で生まれたが、進学を機に島を離れた」と言っていた。きっと、子どもの頃はこの砂浜で遊んでいたに違いない。

 

 

「今、島の実人口は8人。船員をやってる自分たちも島出身で北条に暮らしながら船に乗っているんだ。島には家もある」島を去る間際、そう教えてくれた船員さんの言葉には、島の暮らしを残していこうとする気概のようなものが感じられた。いつかまた安居島を訪れ、かつてあった暮らしの記憶を聞かせてもらいたい。そう思いながら、遠ざかる島を静かに見つめていた。

 


*Profile/井月保仁(いづきやすひと):「いづやん」のペンネームで活動する島旅フォトライター。大学在学中に訪れた小笠原で島に魅了され、以後ライフワークとして日本の離島を巡り、島旅ブログ「ISLAND TRIP」にて旅の様子を書き綴る。朝日新聞購読者向け冊子『スタイルアサヒ』にて2025年4月号から島コラム連載中。デアゴスティーニ『週刊 日本の島』ではメインライターの一人として36島を執筆。雑誌『島へ。』、公益財団法人日本離島センター『季刊しま』などでも執筆。島の魅力を伝えるべく、Webメディアや雑誌、イベントなどで活躍。有人離島214島を巡っている(2025年12月現在) 日本島写真家協会共同代表。島嶼コミュニティ学会会員。20年近いWeb制作者としてのキャリアを活かし、学会サイトの立ち上げ・運営を担当。